『クリスマス・テロル invisible×inventor』 佐藤友哉

クリスマス・テロル<invisible×inventor> (講談社文庫)

クリスマス・テロル (講談社文庫)

どうか嗤ってやってください。

女子中学生・小林冬子が流れ着いたのは、見も知らぬ小さな島。娯楽も何もない、人口もたかが知れているこの島で、冬子はひょんなことから『監視』の仕事を依頼される。
毎日変わることのない作業を繰り返す男の監視を続ける冬子。しかし、ひたすらに変わることのない関係が極限に達したとき、ありえない現象が事態を一変させる。
見る者と見られる者。書く者と読む者。
佐藤友哉、問題作中の問題作、文庫化。


図書館で、初西尾維新のついでに、目に付き借りた『フリッカー式』。
それが、佐藤友哉という作家との、ファーストコンタクトでした。
そして二ヶ月後。自分は一冊の本を読み終え、打ちのめされたようになっていました。
それが、『クリスマス・テロル』でした。


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問題作中の問題作、あるいは傑作。そんなコピーと共に、密室本企画の一環として世に送り出された、本書。
あれから7年。佐藤友哉の『闇』歴史とも言える唯一無二の作品が、遂に文庫化となりました。
少しでも内容に触れると、あっという間にこの本の仕掛けが露わになりそうなので、とりあえず詳しい内容の言及は避けたいと思います。
ストーリー的には、『鏡家サーガ+α』のαに当たる部分で、別作品以上、スピンオフ以下な感じ。フリッカー式にもちらりと登場した、脇役女子高生を主人公に、北海道からは少し離れた島を舞台に、しかしいつも通りのざっくりカピカピな気持ち悪いお話が繰り広げられます。


たぶんなのですが、佐藤友哉さんが『書くこと』を明確に、物語の主題に据えたのは、この作品が初めてのことだったのでは、と思います。もちろんあの『終章』もそうなのですが、作中に登場するとある人物も、モロに佐藤さんの影を背負っていますし。だからどうだって言う話ではあるのですが、佐藤さんの、作家としての垣根を越えるかのような、『書くこと』に対する執拗な描写。その原点が、すでにココにあるような気がしました。


今回の文庫化では、ほぼ手を加えず原文を収録してる代わりに、佐藤友哉本人による『解説』が加えられています。
かつての自分の檄文を、蕩々と解体していき、あまつさえ文庫化の際にわずかに手を加えた部分の真意をも、いけしゃあしゃあと『嘯いて』みせ。あげくの果てには、クリスマス・テロル以降の自分の近況を、恥じることなく堂々と披露する佐藤さん。まるでそれは、自分の小説をさもわかっているかのように語る、我々読者への意趣返しのように感じました。とは言え、それはついでのエッセンスに過ぎず、本当はもっと重要な目的があったのかな、とも思うのですが。


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退屈な文章はここまででお終い。
さて、ここからが面白い。


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クリスマス・テロルを読み終えて翌日。本を返しにいくために、再び図書館へと赴きました。
たった数ヶ月で、ここまではまってしまうとは思っていなかっただけに、クリスマス・テロルを読んだ後の自分は、少々欝な感じで、重い足を引きずっていました。
そして返却と同時に、佐藤友哉という才能に心の中で別れを告げ。ついでにノベルスコーナーに行ってみたところ。
そこには『鏡姉妹の飛ぶ教室』なる作品が存在していました。
その背表紙を見たとき、あっけにとられたことを、今でも覚えています。
先に種明かししてしまうと、自分が『クリスマス・テロル』を読んだのは2006年のことでした。すでに発刊から3年が経過し、佐藤さんを取り巻く状況も、とっくのとくに変わっていたのです。あのテロルから再びはい上がり、文庫版『解説』にも書かれていた目論見を見事成功させ、佐藤友哉は、ふたたび講談社ノベルスに復活していたのでした。
つまり自分は、いわば復讐の燃えかす、時が経過して風化した灰のようなモノに踊らされていたわけで…。
オビに書かれている『おかえりなさい、佐藤友哉!』の文字を見ながら
めっちゃくちゃ、殴ってやりたい欲求にかられていました。
あの時、浅はかにも踊らされてしまった自分自身を殴りたかったのか、はたまたあそこまで書いておきながら、いけしゃあしゃあと新刊を発売しやがった、ユヤタン野郎をフルボッコにしたかったのか。それはもうよく覚えていません。
なんかもう、怒ってたし、呆れてたし、拍子抜けしてたし。持つ手もぷるぷる震えていましたが。
でも、ものすごく嬉しかった。
そんなもにょもにょした感情を抱えつつ、再び自分はカウンターへと急いだのでした。


***


解説でも明示されたように、佐藤友哉はこれからも復讐を続けるのでしょう。
誰に、とかそういうのはどうでもよくて、復讐は、もう彼の精神の一部になっているのかもしれません。
ぶっちゃけて、開き直って、無謀にぶつかって、手痛いしっぺ返しを喰らって、いじけちゃって。
でも最後には、危ういところで目に物見せてやる。
ユヤタンのそんな衝突だらけの作品達は、どうしようもなく格好良いのですから。
そしてこの『クリスマス・テロル』も、これからも繰り広げられる復讐劇の、大きな大きなターニング・ポイントとして、語り継がれるに違いないのです。