「空はどうして青いの?春の次に夏が来るのはどうして?犬は可愛がるのにどうして牛は食べるの?あなたは何のために生きてきたの?」


森にえ(id:Mori-Nie)さんのブログ閉鎖に至るまでの一連の騒動を見て思うこと。
なんでこう『否定』というのは、世の中に蔓延してしまうのだろう。

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人間は、何かを暴くことに、興奮を覚える生き物だと思います。
例えば、推理小説という物語形式は、謎を暴くのが基本です。堂々と存在している不条理を、暴いてみせるのを楽しむもの。トリックが解決した瞬間、読者はまるで強固な法則が取り払われたような興奮を得ます。
言い方は悪いですが、自分は、このような『暴き』と『否定』の根底に、同じものを感じます。共通しているのはどちらも、堂々と存在しているモノを、どうにかこうにか屈させようとする、ということ。そして、きっとそれぞれを達成したときに感じる興奮も、きっと似たような系統のものに違いないのだろう、とも思います。何が言いたいかというと、何かを否定して屈服させてしまったとき、人は秘密を暴いたときと同じような、恍惚感を得てしまうのだろう、ということです。

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だから『否定』はなくならない。だって、気持ちいいから。
偽善を被った世の裏側を、見破ったような気分になれるから。
自分だけ真実を見た気になって、優越感を得られるから。
そりゃぁ、世の中には偽善なんてめいいっぱい溢れてます。NEWS番組なんかをちょいちょい見てみれば、たちどころに欠片が見つかりますよ。真に偽善ばかりの時代ですから、『否定』が正義になることも少なくありません。確かに。
しかし。理解しようとせず、共感もしようともせず。『否定』をするためだけに『モノ』の綻びを探し抜き。黒く黒くねちねちと、自分だけが正であると信じ。ただひたすらに『否定』に全力を注ぐ。
そんな、興奮の味を覚えまくってしまい、否定中毒に身を侵されてしまった人が、増えてるのも事実。
アンダーグラウンドな面のあるネット上だと、そのような『正義』も行使しやすい。
無論、んなことは小学生の昔からわかりきっている、暗い常識ではあるんですが…やはりこのようなケースを目にする度、げんなりとしてしまいます。
しかも今回のケースは、自分の利用しているはてなで起こったこと。
自分ははてなを単なる読書日記のようなモノとしか利用できていないので、「はてなブックマーク」やらなんやらも気に入った記事をとどめておくくらいにしか使っていないのですが…以前から、炎上、論争の火種となりやすいことは、聞いていました。
しかし、改めてはてなのシステムが、このような『否定』の温床と化してしまっている現状を実際に見ると…自分自身もこの黒い沼の中に片足を突っ込んでるような気がして、また更に、鬱になりました。

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自分は憎しみが嫌いです。否定が嫌いです。
自分は愛が好きです。肯定が好きです。
けなしたくない。褒めてあげたい。
嫌いたくない。好きになりたい。
人を貶めて興奮を得るような、否定中毒者にはなりたくない。
推理小説の謎を暴いて興奮を得るような、活字中毒者だけでいたい。
例え、大勢の人に「偽善乙ww」と言われてしまうのだとしても。
自分はなるべくなら、肯定をし続けたいと思うのです。
よろしければあなたも、なるべくなら肯定をしてみません?

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偽善ばっかのこういう時代なんだから。
『否定』で自分を固めるなんて、逆にダサイっすよ。