紙じゃないブログ

裏目



善意でやったことが、すべて裏目に出てしまいます。
小学生の頃、隣の席の女の子が泣いていたので、自分なりに励ましたら、次の日からその娘は口を利いてくれなくなりました。
小学生の給食の時間、同じグループになった子たちと会話が弾まないので盛り上がるよう、多少テンションを上げて自分の知ってる話題を振ってみたら、他のグループの人たちから失笑されました。
面白い本を紹介してくれと言うので、10冊ほど候補を絞って持っていったら、ひかれました。
中学の運動会の練習期間、風邪でふらふらだけど、放課後の応援練習がんばろう!と思って、よろめきつつ踊ったら、「やる気があるのか」と不良な生徒会長に地面に叩きつけられました。
謝ったのに、「それしきのことで謝るなんて、お前は本当に小さい男だ」となぶられます。
他にも、テストの二択の問題で、勘で選んだところがことごとく間違いになったり、植物に水をあげたらやりすぎでしおらせ、皿を洗えば皿を落とし、真面目に唄えば何を熱くなってるのと冷たく見られ、たまには明るく振舞えば周りから挙動不審に見られます。
とにかくやることなすこと、すべてが裏目裏目だらけの人生でした。これだけ裏目が続くのなら、少しは表に戻ってもよさそうなのに、あるのは無限の『裏目裏目(ry』。表裏一体と言う言葉は嘘です。きっと表と裏の間には異次元のごとき裏の裏の…が広がっているのに決まってるのです。一度裏に入ってしまったら、いつまで経っても裏の裏地獄から抜け出せないのです。
「要領よくやれ」と、いろんな人から言われました。そんなの自分には無理です。要領よくやろうとすれば、裏目に出ます。めげずに頑張ろうとしても、また裏目に出ます。こうなれば触らぬ神に祟りなしと思い、何もしないことを決め込んだら、「お前はなんで何もしない」と罵倒され、またしても裏目に出てしまいます。何かしてもしなくても、すべてが裏目。一体自分はどうすればいいんでしょう。
ああうらめしい、うらめしい。裏目にならない人たちがうらめしい。


関係ないですが、久米田先生、自分の作品のキャラをくんづけ・ちゃんづけで呼ぶんですね。
可愛いなぁ。