『不気味で素朴な囲われたきみとぼくの壊れた世界』 西尾維新

「……世界か。大仰な言葉だな。ハワイにも行ったことがない人間が使っていい言葉でもない──国内のこともよく知らない癖に」

平和だったはずの私立千載女学園で、不可思議かつ不可解な連続殺人事件が発生する。
そしてそこに勤務していたのは、こともあろうことか倫理教師となったあの串中弔士だった…。
病院坂迷路を巻き込んだ、あの事件から14年後。
あらたな病院坂と共に、探偵ごっこの犯人捜しが、再び幕を開ける。
これぞ世界に囲われた、「きみとぼく」のためのほ


世界シリーズ第4弾。
ということで、読み終わったんですけども。
毒にも薬にもならない、を体現した小説だと思いました。
しかし、毒にも薬にもならない、というわけではない。
第一弾、『きみとぼくの壊れた世界』。『本格ミステリ』だな、と思いました。
第二弾、『不気味で素朴な囲われた世界』。『反・本格ミステリ』だな、と思いました。
第三弾、『きみとぼくの壊した世界』。番外編なので、とりあえず除外。
そして、第四弾、『不気味で素朴な囲われたきみとぼくの壊れた世界』。
非・本格ミステリ』だな、と思いました。

誤解して欲しくないのは、アンチ本格ミステリと言うワケじゃない、ということ。
アンチミステリは、いわゆる反推理小説、というヤツで、要するに、わざとミステリの枠組みを壊してお話を作る、ミステリっぽいけどよくよく見ると成立していない、ミステリの亜種のようなもの。本家に反旗を翻した、ヒネたミステリ、と言うのは、ちょっと乱暴なまとめかたかな。『不気味で素朴なか囲われた世界』は、そんな感じの作品だと思いました(正確には、『反』の字が『本格ミステリ』ではなく、『本格』の二文字にかかっている、という感じだったけど)。
しかし、このぶきそぼきみぼく、はそれとも少し違う。
何というか、最初からミステリとしてまとめる気がない、と言うか。
何しろ、描かれるのが、学園の七不思議を元にした見立て殺人。それだけ。
フーダニット、ハウダニットホワイダニット、すべてが関係なし。単に事件が起こり、串中弔士はそれを静観しようとし、迷路さんが探偵役を押しつけられようとされ、しかし結局は何もまとまることなく、探偵ごっこに至ることもなく、すべてが終了してしまう、そんなお話。
枠を壊そうも何も、壊すための枠を作ろうという気がそもそもない。
推理小説であることを放棄している。そんな印象を受けました。
そして、このように、まがりなりにも「きみとぼくのための本格ミステリ」という看板を掲げながら『本格』どころか『ミステリ』であることすらも放棄したことで、ぶきそぼから14年後〜大人となり教師となり、野望も願望もなくなった、串中弔士の絶望とも失望ともつかない、そんなやるせなさが暗に伝えられているような気がしました。
ミステリというのは、基本わくわくするものです。難解な事件が解かれ、犯人が名指しされるその瞬間、読者はどうしようもなく、快感を感じることでしょう。自分には想像も付かなかった結末を読むことで、大人の世界をのぞき見している子供のような、夢も希望も溢れる背伸びしたい盛りの子供のような感覚を、きっと覚えることでしょう。
でも、この作品にはそれがない。謎解きがない。探偵が居ない。犯人の追求がない。わくわくがない。
残るのは、事件が警察の手によって処理されるのを眺めている、そんな現実。
それが、大人になった串中弔士のすべてと、重なっているように思えました。


※※


上に引用した、病院坂迷路(バックアップ)の呟いた言葉が忘れられません。
「『世界』が『壊れた』とか『囲われた』とか、家と仕事場くらいしか行かない人間が、何言っちゃってるの?馬鹿じゃねーの?」と。
西尾さんが読者に、そして自分自身に。
シニカルに自虐的に、問いかけているような気がしてなりませんでした。


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本格ミステリから反本格ミステリへ。そして非本格ミステリへ。
確実に壊れていく、このシリーズ。
最終作となる『ぼくの世界』では、最後に残った『小説』という形すらも壊されてしまうのではないか、とさえ思っているのですが、どうでしょうか。


※※


さて、堅苦しい話は終わりにして、色々ツッコミターイム。
・まさか迷路さんが××だったとは。使い古されすぎてて盲点というか、だからこそビックリというか、いやでも使い古されすぎててあんまり驚かないというか…*1。確かにつるぺったんだったけど!今までの病院坂からするとちょっと「ん?」っては思ったけど!ていうか、これくらいの美人さんなのだったら、自分は道間違えてもいいぞ*2
・ろり先輩落としてやがった…。しかも××してて××もだと!?なんと言うことだ、天は我を見放したのか…*3。つーか、かの大恋愛の話、ぜひとも読んでみたい自分がいる。誰か、二次創作で書いてくれ。想像を絶する苦労を伴うとは思うけど。
・イラストと本文の微妙な噛み合わない感じについては、TAGROさんのサイトでも質問があったりしました。しっかり本文を読んだ上での挿絵なそうなので、きっとあれもTAGROさんが試行錯誤した結果の演出なのでしょう。事件も世界もそしてイラストさえも、物語に関係なくさせることで、いっそう作品に漂う無機的な感じが強調されてる…とか考えるのは自分だけ?

*1:どっちなんだ

*2:オイ

*3:大げさ