第4回 秘密屋 赤

「なあ、口裂け女って知ってるか?」「うちの学校にもトイレの花子さんの噂があってさ」「ハンバーガーってミミズの肉が使われてるらしいぜ」「ベッドの下に斧を持った男が潜んでたんだって」
「間違いないよ。俺の友達の友達が体験した実話なんだから」
人々の間で生まれ成長し、いつのまにか社会に広まる現代の御伽噺……「都市伝説」。
その都市伝説の収集を趣味とする「僕」の元へ、また新たな都市伝説の噂が舞い込んだ。幾多の都市伝説と融合し増殖し続ける謎の都市伝説、その名は「秘密屋」。
「秘密屋」の都市伝説のルーツを探るため、情報収集にいそしむ「僕」。しかしいつの間にか、「僕」自身が都市伝説の渦中の中に組み込まれてしまい……。
都市伝説の秘密を追い求める、男の顛末を描いた「秘密屋」赤本。

い、もうひとつの「秘密屋」。赤です。
時系列的には「赤」→「白」の順番ですが、互いに独立した話なのでどちらから読んでもかまいません。
あんまり知らないけど、ちょっと都市伝説に興味あるなぁ、という人には格好の入門書。代表的な都市伝説の紹介、更に都市伝説の楽しみ方も知ることができます。物語の大半は、都市伝説の証言で構成されていますが、都市伝説自体が物語みたいなものなので、そこまで肩肘張らずに読むことができます。

以前、Gen9は都市伝説が好きだという話をちょくちょくしました。それは、この本がきっかけなんです。この赤本で、Gen9は都市伝説の世界とその醍醐味を知り、都市伝説収集のまねごとみたいなのを始めました。今年の初めのほうで、やりすぎコージーで取り上げられたことで都市伝説がちょっとしたブームになりましたが、アレはちょっと……。どうかと思います。都市伝説は一種の怪談や変な噂話、という認識でブームに祭り上げられたようですが、都市伝説の本当の面白さはそこじゃないんですね。どうしてそんな都市伝説が生まれるに至ったか、そこを研究するのが面白いところなのです。
…ま、詳しくはこの赤本を読んでもらうとして、ひとまず都市伝説自体の話はおいときます。

、考察に入りたいと思います。
と言っても、今回の考察は「秘密屋 赤」自体が対象ではありません。
前回、赤の考察は少し辛口になると予告しました。それはなぜか?
……実は、今回の考察では、流水大説の“引用”について述べようと思ったからです。
流水大説が批判される原因の最もたるものは、おそらく破天荒なストーリー自体でしょう。ですが、それに準ずるものがもうひとつ。それは、流水大説では、資料から丸写ししたかのような長く索漠した文章が多々見受けられることではないでしょうか。

の傾向はかなり最初のほうから存在しており、「ジョーカー 旧約探偵神話」では俗に四大ミステリと称される推理小説のあらまし、「カーニバル」では世界の様々な名所の解説などがそれにあたります。特に「カーニバル」シリーズでは、ガイドブックや専門書の文章をそのまま写したかのような説明が何ページにわたって続き、まるで「白鯨」の冒頭なんかを彷彿とさせます。
更にこの傾向はとどまることを知らず、2000年開幕記念として執筆された「トップラン」シリーズでは、2000年に起こった様々な時事問題が事細かに記録されています。2000年をそのまま永久的に保存するのが趣旨だっただけに仕方ない気もさせますが、それにしたってストーリーと直接関係のない箇所がほとんどで、読むときはかなり苦労しました。
そして、この「秘密屋 赤」では、都市伝説の説明が内容の大半を占めている、というわけです。

ちろん、「流水大説」は既存の小説とは全く違う読み物なので、この傾向も流水大説の側面と言ってしまえば、それまでです。僕も自分にそう言い聞かせ、「これでこそ流水大説!」と言ったりしていましたが、この引用癖だけは、正直苦手なところでした。まるごと引用してこその流水大説、なんてなんだか変な開き直りのような気がしていたのです。この点に関してだけは、僕は流水氏に対して、どことなく微妙なものというか、はっきり言えば苛立ちを感じていました。正直に言えば。

ころが。
最近になってその傾向が変化しつつあることに気がついたのです。
「成功学キャラ教授」を例に挙げましょう。
この作品は清涼院流水流の「成功学」を小説形式で紹介したHow to本です。
キャラ教授を名乗る老人が、「あなた」に全十講にわたり、必ず成功できる「絶対成功法」を教えるというストーリーです。
もともと、流水氏は経済学の本、特に「成功学」関係の本を好んで読んでいて、読んだ冊数は100冊以上にのぼるそうです。ゆえに、各々の成功学の共通項というのものが自然に発見できました。それを抽出し、独自の解釈を元に仕上げたのが「成功学キャラ教授」なのだそうです。
これは非常にわかりやすく成功法が説明されていました。

して、もうひとつ。
パーフェクト・ワールドを例に挙げましょう。
この本は「読むだけで『英語』と『京都』の達人になれる」というのが最大の特徴です。
物語の中に、清涼院流水流の英会話術「キャナスピーク」が組み込まれ、独自に研究した英語の勉強法が進められて行きます。
更に、京都の観光名所解説では、写真や流水氏手描きの周辺地図があわせて掲載されています。解説自体はやはり冗長な文章であることが否めませんが、オプションがつくことで格段にわかりやすくなっています。

の2作品と、今までの作品との違いは何か?
それは、今までの作品では単に資料をそのまま書いているのが明らかなのに対し、この2作品は、流水氏自身が大量の資料を読み込み、完全に理解した上で、独自の解釈を元に再構築している点です。
そして、最近のインタビューを読んでみると、この変化について、流水氏自身も気づいていたようです。

ぼくの本から読者のみなさんがプラスのチカラを得られるといいな、と、いつも願っているんです。これまでは、ぼくの力不足で、なかなかそうは読んでもらえなかったんですが……。でも、最近は作家としての筋力がついてきたのか、嬉しい反応も多く返ってくるようになりました。
               ―活字倶楽部2007冬号 特集・清涼院流水


まり、流水大説には読者に「なんらかの『プラスのチカラ』を与える」=「何かに詳しくなれる」という側面があったわけです。しかし、これまでは、作者の力量不足もあって、資料をそのまま写すことで留まっていました。それが、作者としての筋力がつき、もう一段階上の、「理解し再構築する」という、更に「プラスのチカラ」を与える力量が流水氏に備わったようなのです。
これは、Gen9にとって、本当に嬉しい変化、否、『進化』でした。
もちろん、今までの著作が駄作だ、というわけではありません。全て大好きですし、流水大説はどれも傑作だと思っています。しかし、それが更にバージョン・アップされた、今まで自分が苦手だったところが改善された、というのが本当に嬉しかったのです。

う考えると、もうひとつ、「流水大説」作品の変化に気づかされます。
2004年に刊行された「秘密屋文庫 知ってる怪」。
これは、前回紹介した「秘密屋 白」、そして今回の「赤」を統合し、新たなエピソードも加え全く新しい物語に仕上げた文庫版です。そして、これを最後に、しばらく大量の解説が組み込まれた流水大説はぷっつりと途切れます。しばらくの間、純粋にエンターティメントを追求した作品が刊行され、2年後の2006年、久しぶりに発表された大量解説のある流水大説が「成功学〜」だったのです。その後、刊行された「LOVE LOGIC 〜蜜と罰〜」。これは純粋なエンターティメントで、解説要素はやはり皆無です。
つまり、この二年間の間に、流水氏は、「プラスのチカラ」の筋力をつけると同時に、「プラスのチカラ」のある流水大説と、そうでない流水大説。その二つを明確に住み分けさせようと考えたのではないでしょうか?これはまだ仮説にすぎず、完全にそうだとはまだ言い切れません。しかし、最近の流水大説を読んでいると、はっきりと二極化しているように見えてならないのです。徳間書店から刊行される「神とオセロ」がどちらかに偏った内容なら、更にこの仮説が強固になるところなのですが……。こればかりは、刊行してからでないとわかりません。

論。

「プラスのチカラ」というキーワードを元に読むと、2006年から、流水大説は大きく進化を遂げている。
更に、流水大説は「プラスのチカラ」を持つものと、そうでないものに、二極化している可能性がある。

えっと、こんなところです。
すげー長文で、結論がコレだけ。なんか、スイマセン…。

回の考察で、流水ファンのみなさんに不快感を抱かせてしまったら、謝罪します。本当に、すいませんでした。
でも、僕も流水ファンですが、作品を褒めちぎるだけがファンとしての正しい姿かなぁ、と個人的には思ってまして。
流水大説の良いところ、悪いところ、両方をとことん考察して、自分なりの結論を出したほうがいいんじゃないかな〜と。
そんなわけで、今回は自分が流水大説で苦手だったところを言及してみたしだいです。
この企画ではこんな感じで、自分がファンであることは極力抑えておいて、とことん流水大説を考察していきたいと思っています。
そんな感じで、まだ始まったばかりですが、よろしければ、これからもよろしくお願いしますです。はい。