ウルトラマンギンガ全話見まして

さて、ウルトラマンギンガについてつらつらと。

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全編に渡って森林地帯・学校敷地での戦いということで、
予算の少なさはモロに見えていましたが、それでも
特撮演出はかなり派手に攻めており、十分満足できたように思います。
直接切らないギンガセイバーには結構不満の声が多かったですが、
自分はむしろ、地面を割ってマグマを吹き出させるという
ド派手な決め技に驚嘆させられました。ありゃ凄かった。

もちろん最終決戦の特撮は言わずもがな。
ギンガとルギエルの肉弾戦によるラストバトルは、
一気に月に舞台を移す大規模な演出と相まって、非常に見応えがありました。
ルギエルがラスボスとしての挟持を保てたかどうかは疑問が残りますが
特撮に関しては、概ね不満もなく制作側の頑張りに敬意を評したいです。

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で、ドラマパートですが、
はっきり言って、歴代シリーズの中でも
飛び抜けて物足りない内容でした。
付随する原因は色々とありますが
(役者さんの技量不足、全11話という尺の短さ、予算故に限定せざるをえない狭い舞台)
それらすべてを考慮したとしても、脚本の質があまりに貧弱すぎます。

「夢をあきらめない」というテーマはこれまでのウルトラシリーズにも
たびたび含まれてきたモノであり、
子どもたちの楽しむ特撮番組においては大事なテーマだと思います。
これに不満はないです。

ただ、この「夢をあきらめない」という言葉が、
肝心要の、ウルトラマンと怪獣の戦いとあまりリンクしていない。

いや、実際は
「夢をあきらめない子どもたち」と
「夢をあきらめ悪に魅入られた大人たち」
という明確な対立が用意されているのですが、
序盤の物語では、ダークライブする大人たちが
「夢をあきらめた人たち」ということはまったく語られず、
実は彼らは学校の卒業生であり、
全員が夢半ばで挫折しているという共通事項も、
終盤にヒカルの祖父ホヅマによって慌てて説明されました。

そんなわけで、中盤までのギンガは、変身させられたしょぼい悪人を
魅せプレイでデストロイするという
見ていてあまり爽快感のない内容になってしまいました。

加えて、レギュラーメンバーの子ども達にも
「夢を追いかけている」様子が、あんまり感じられない。
この辺は舞台の狭さや役者さんの演技も関係していると思うんですが、
お前ら本当に夢を目指して頑張ってるの〜?と疑ってしまう。
必死さが見えてこないし、みんないっつも廃校に集まって
なんかだらだら過ごしてるし。
この手の『陽』のテーマは、
口で言うのは簡単だけど、絵で見せるのは難しいタイプの典型的な例なので、
1クールにも満たない尺で描くのは厳しかったのではないか…と思います。
仲間達と未来を掴んで悪を滅ぼす!という展開は、
1年に及ぶ仲間たちとの積み重ねが合ってこそ
初めて説得力が産まれるモノなので……。

また、今回はウルトラマンも怪獣も、人間が変身したモノということで、
ウルトラシリーズ特有の「人間を超えた超常存在」の視点が絶対的に不足していたのも
毎エピソードをワンパターンにしていたと思います。
なにしろ襲ってくる怪獣すべてが「夢を諦めた大人」なわけで
特に後半戦ではどの回も
「夢なんてくだらねえ!」VS「そんなことはない!」の応酬に終始しています。
テーマを大事にするにしても、毎回の構図があまりに代わり映えしておらず
まるでダメな中学生日記を見ているような気分で毎週を過ごしていました。

テーマを抜きにしても、毎回のエピソードの密度は低く感じられました。
正直、20分ってこんなに短かったっけ?と
思わせられることが何度も何度も…。
いろんな方がおっしゃっていますが、
特に4話の出来はちょっと信じがたいですね。
本来存在したシナリオを半分くらいカットして、
虫食い状態になったモノをなんとかつなげて形にしたのかと思うくらい
あらゆる部分がバラバラかつ唐突で、まったく納得のできない
一話となっていましたし。

ウルトラシリーズは一話20分の尺のなかに
映画をひとつ見終わったような満足感があるのが醍醐味だと思っているので、
ギンガの一話一話が貧弱になってしまったことは非常に残念です。
 
 ※ ※

人間がウルトラマンや怪獣に変身する「ウルトライブ」も
面白い新要素であり
変身アイテムとソフビを連動させるアイデア
玩具的には非常に秀逸だったと思います。
が、番組中では
よくしらない人間が、
自分にとって思い入れのある
ウルトラマンや怪獣になってしょぼい目的で暴れている、
という絵面はあまり見ていて気持ちのよいものではなく
バトルしているときはアフレコの少なさを願ったものです。

あと、せっかくギンガスパークは他の怪獣にも変身できるという
設定があるにも関わらず、
怪獣の状態で一矢報いた場面がほとんどないのも残念でした。
実際後半では、いちいち怪獣になる必要はないとヒカルも悟ったのか
直でギンガに変身していましたし……。
仲間たちが変身した怪獣も、時間稼ぎ以下の活躍しかできておらず
これでギンガスパークをはじめとする玩具アピールにちゃんとなっているのか
疑問が残るところです。
ガルベロスやザラガス、グランドキングといった面々が
せっかくパワーアップ版として登場したにも関わらず
特に脅威を見せつけることなく退場していったのも、悲しいところでした。

最終話の
「人間とウルトラマンは共に戦ってきた」
というタロウのセリフによって、
ウルトライブに、
これまでのウルトラシリーズに連なる意味があったことがわかるわけですが
できればこれを最終話に唐突に出すのではなく、
物語の中にうまく織り交ぜていて欲しかったなあと思います。
ウルトラマンと人間が共に戦う」それを体現したのが「ウルトライブ」
この要素が早くからあれば、
ダメな大人やよく知らない子供が、
物言わぬ人形になったウルトラマンや怪獣を好き勝手に操って暴れてる……
というもやっとした構図を、
180度変えることができたんじゃないかと思うのです。

 ※ ※

さて、今回のウルトラマンギンガ、
勿論それなりに楽しんで見られていた方々はたくさんいらっしゃるでしょうし
そういった方にはこのような批判は見ていて気持ちのよいものではないと思います。

しかし、ウルトラシリーズ
「子供は直感的に楽しめて、大人が見れば作りこまれた内容で更に楽しめる」
というのが魅力であったと
ウルトラマンティガ」を始めとする、平成ウルトラマンを見て育った私は思っており、
事実、大人になった後も、その精神を貫いたメビウスやゼロといった新たなウルトラシリーズ
心の底から楽しんで拝見していました。
それだけに、製作者自らが内容に関して「色々と足りない部分はありました」と認めてしまうような
作品が送り出されてしまったのが
非常に残念でならず、つらつらと駄文を書かせていただきました。

予算の問題など、逆境の多さは近年のウルトラシリーズではつきものであり
ギンガの『足りない部分』を、その理由で埋めることもできましょう。
しかし、ネクサス、マックス、メビウス、ゼロ
はたまた大怪獣バトルや、ウルトラゾーンにおける特撮ドラマに至るまで
円谷プロはその逆境を溢れる熱意と創意工夫で乗り切り、
我々視聴者を楽しませてくれました。

同じ逆境の中にあって、ギンガだけがそれを理由にするのはフェアではないなあ
と個人的には思うのですが、いかがでしょうか。

近年、特撮における向かい風の強さは増すばかりではありますが
円谷プロもこの風の中で懸命に前に進んでいると思います。
どうかこの風を押しのけるような
新たな素晴らしいシリーズを生み出してくれることを
ファンの一人として心から願っています。